危機管理としての文書作成 ~「適切な文書」を書くために。
書き始める前に、大枠を描きましょう。
企業によっては、法務部門の仕事ではないかもしれませんが、マスコミ向けのニュースリリース文書、法人として外部に発信するための文書(社長名義の文書等)、訴訟関連の文書(訴状や準備書面等)など、法務部門が起案したりアドバイスを行ったり、作成に関与する可能性のある文書の種類は多岐にわたっています。
一般的に文書を作成する際には、正確な内容を心掛けることは当然のこととして、少なくとも、その文書は、「誰の名義で作成するのか」、「宛先(読み手)は誰なのか」、「作成の目的は何なのか」、「どのように使われる可能性があるのか」、そして、「伝えるべき内容は何か」など、必要な要素をきちんと理解し整理してから、作成を始めることが必要であると考えています。
小室圭氏の文書について思うこと
最近、小室氏が開示したという文書がいろいろと話題になっています。
この投稿を書くにあたって、小室氏が開示した文書の原本に直接当たってから見解を述べるべきと考えましたが、正確な原本がいずれであるのか、直接の受領者ではないので正確にはわかりませんでした。
また、開示の方法、送り状等の有無、宛先、送付人名など、開示の状態について詳細な情報は報道されていませんし、「誰が」(小室氏と推定されますが)、「誰を宛先として」開示した文書であるのかさえ情報がありません。
報道によれば、開示の経緯についても、小室氏側の「代理人を通じて開示された」(宛先や例えば、電子メールに添付、ファクシミリ送信されたなど開示の方法もわかりません)との情報しか見つかりませんでした。
「誰に宛てた」、「何を目的」とする文書だったのか
転載の責任者も不明のまま、全文書であるとして、インターネット上にデータ化して掲載されている文書をもとに見解を加えることについては、法務という仕事をしてきた身として、いささかいい加減な仕事であるとは考えますが、文書の内容の真偽や詳細について意見を述べるわけではありませんので、その点はご容赦いただきたいと思います。
内容の真偽等は別にして、小室氏の文書でまず気になったのは、「誰に宛てた文書なのか」が不明であるという点です。
小室氏の文書は、「文書の概要」と本文と称する別文書(以下主文書)で構成されており、『「文書の概要」 「8」おわりに』には、「この文書を読んでくださった方」との記載があり(なお、「文書の概要」にある記載と同旨の記載は、主文書にも記載されています。以下同じ)、不特定多数の読み手を相手にしていることは、何となく理解することができます。
また、同じく『「文書の概要」 「1」はじめに』には、『この文書の目的は、「……、これまで世の中に出回ってきた金銭トラブルと言われている事柄に関する誤った情報をできる範囲で訂正する」ことにあります』と文書の開示目的が記載されています。
しかしながら、『文書の概要 「2」この文書を作成し公表することにした理由について』にある、『一定の範囲で「見える形」にすべきと判断した』という記載 を見ると、特に誰かに宛てて理解を得るということではなく、「読み手に理解されるか否かは別に問題ではなく、単に自分の見解を一方的に開示しただけ」と理解されてしまう危険のある文書になってしまっているように思います。
もちろん、小室氏に直接本心を聞くことはできません。
そのつもりだった可能性がゼロではないかもしれませんし、反対に、そうした理解は本意ではないのかもしれません。
問題はどこにあったのか。
文書の構成や文書量に問題があったとしても、作成者は、主文書の最終ページに記名された「小室氏」であると理解することができます。
しかしながら、作成者が明らかなのに反して、小室氏が誰に向けた文書なのか、その「宛先(読み手)」が明確に記載され、明らかにされていないことに問題があるように思われます。
不要な誤解を生まないためにも、「誰に宛てた文書であるのか」明確にすべきであったように思いますし、読み手に合わせた内容(分かり易さ等)、目的(何を主張し、何を理解して欲しいのか等)、文書量などを良く検討して調整すべきであったと思います。
仮に、報道で触れられていないだけで、文書の宛先が直接受領者だけであり、送り状などが別にあったならば、読み手について具体的に記載がないことには理解の余地はありますが、正確な文書にこだわっていたならば、できれば、きちんと文書の形式を整えておくべきでした。
しかしながら、報道のとおり「文書が開示された」となると、後々文書の存在や概要を知ることとなる、「すべての人」を対象としたものなのか、「直接開示された報道関係者」だけなのか、それとも別に意図した相手方がいるのか……
残念ながら、本意はよくわかりません。
また、報道関係者に開示すれば、文書の使用方法として、自身が意図しない方法や内容で「報道に接する人」に開示されるのは避けられないでしょうから、宛先(読み手)はきちんと記載されていませんでしたが、「既に理解を得た一部の理解者を除いた、その他全ての人」に宛てた文書と理解するのが正しいのかもしれません。
もしそうであれば、マスコミからの再開示の方法等は指定していない以上、自身が意図したとおりの理解を得ることは難しかった可能性がありますから、正確な理解を求めるのであれば、開示文書の形式や文字量など、「文書に接するすべての読み手」の理解を得られるように、全く違ったものにすべきだったように思います。
小室氏は、本当に理解を得たいと考えていたのか。
小室氏が公表した文書を見て、なぜ論文のような形式を採用したのかと不思議に思いました。
最初に、「文書の概要」が4頁もあり、その次の頁から頁数が別に振られていますから、最初の4頁とその後の文書(主文書)は、別の文書として作成されたものでしょう。
そうであれば、まずは、それぞれが別の文書であると明確に分かるような形式にすべきであったと思います。
そして、「文書の概要」が、通常論文に添付される「論文の概要」のような目的で作成されたものであるならば、小室氏の文書は1頁あたりの文字数も多いことから、「文書の概要」だけで4頁もあるようでは、文字量としてあまりにも多すぎたように感じます。
小室氏の文書に接したほとんどの方は、1頁あたりの文字量に圧倒され、読むのを諦めてしまったのではないでしょうか。
それどころか、主文書に入る前の「文書の概要」を一覧しただけで、拒否感を感じさせてしまったのではないかと思います。
概要というには、「文書の概要」が長すぎるうえに、正確さを期すあまり主文書が長くなり、更に、主文書とは別に記載したい内容が増えたために、脚注の形式を採り、その脚注数がさらに増えていってしまった……
きっと、理解を得られるか否かより先に、「周りは批判的な人ばかり、なるべく正確に、決して揚げ足を取られないように」といった思い、周りへの不信感が、あのような形式の、あのような文書を作成させてしまったのではないでしょうか。
目的に合った文書を書くことは難しい。
有能な弁護士は小室氏のような文書は書かないとか、危機管理の専門家が書いたら、などといった報道も散見されましたが、前述のとおり、文書の宛先や目的などを無視して議論してもあまり意味はないように感じます。
訴訟関連の文書など、ほとんどの弁護士の文書は、目的に合致する内容で作成されていますが、だからと言って、すべての弁護士の文書作成能力が高いというわけではないでしょうし、危機管理の専門家であっても同様です。
小室氏の文書に記載された内容について、個人がいろいろな感想を抱くのは自由だと思いますが、個人的な立場を超えて批判するのであれば、文書の形式や文字量をもって単に「長い」、「誠意がない」などと意味なく批判するのではなく、文書に記載された内容の真偽や齟齬の有無など、もっと意味のある議論をすべきだと考えます。
最初にもっと深く文書作成の意味や影響を考えていたならば……
少なくとも、文書の宛先(読み手)と目的だけでも明確に意識して作成していたら、文書の形式、伝えたい内容、文字量や頁数は、まったく異なるものになっていたでしょうし、そうすべきであったのではないでしょうか。
